昔、夫婦の大蛇が狭山村の狭山池と富田林の黒ヶ池に別れて棲んでいた。
狭山池の方は雌で黒ヶ池の方は雄の蛇であったが、夜毎この夫婦の大蛇は往来して会瀬を楽しむので、これが為この大蛇の通り筋になる田畑はすっかり荒らされ、又折悪くそれに出会った人や牛馬は、毎夜の様に害されるので村人達は全く困っていた。
けれど何と言っても祟り恐ろしい大蛇の事で如何することも出来ず、その日々を、泣きの涙で送り暮らしていた。
しかし、何時までも、このままに打ちすて置いては、村人は皆大蛇の餌食になってしまうと言う所から、ある日、村の主だった人達が庄屋の家に集まり、その対策に評定をした。
血気の若者達は大蛇を退治してしまえと強い意見を吐いたが、老人達は後の祟りが恐ろしいとて、なかなか承知せず議論は紛糾して容易に纏まらなかった。
しかし、結局は老人の意見が勝って、神様にお願いをして大蛇を池の中に封じて貰う事に意見が一致した。
そこで数日を経て鎮守の神主と、庄屋とその他村の主だった人達2、3名は、何れも白装束に身を清めて丑三つ時に池の側へ行って、
「神様、何卒村人を助けると思って竜神が池を出られぬ様にして下さい。其の代りお社を設けてお祀りいたします」
と祈願をしたが、神もこれを哀れと思われたものか、それからというものは全く大蛇は池を出なくなり、村人達は非常に喜んで池の中へ祠を建てて龍神を祀り供物を絶やさなかったと言う。
南河内郡狭山村の狭山池の中にある弁財天祠即ちこれで同池では雑魚取の年中行事あり、垂仁天皇の御代に垂仁天皇の「農天下大本也」の御遺勅に基づいて印色之入日子命が築いたもので、おかめ石という行基が改築の際用いた石樋が残って居り、今日でもこれに触れると人命に関すると恐れられている。
松本壮吉「伝説の河内」歴史図書社 76頁~78頁
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