神山町にある黒子池なあ、あの池は九郎五郎池ちゅうて貴志のあたりまでのびてたんや。それが黒五郎池となり、それから黒子池となってだんだん小そうなったんや。昔はそりゃ大っきな曲がりくねった池で、百もの谷から出来てたそうや。
いつのころかしらんけど、旅の僧がこの池をじーっと見つめて、
「早うひと谷埋めんと、ここには龍が棲みつきますぞ。ひょっといたらもういてるかもしれん」
そうつぶやくと、どこへとものう行かはったんやて。これを聞いて富田の里では、このまんま池を残そうやないかという袋屋茂右衛門などもいてたが、早よう埋めて九十九谷にしてしまえという人の勢が強く、とうとう一つの谷を埋めてもうたんや。
雨のじとじと降るむし暑い晩やった。茂右衛門の店先に小娘がしょんぼり立ってるのや。番頭がどないしたんやと聞くと、この袋屋で働きたいと言うんやがな。
娘の名は「おたつ」というたが、身寄りも無いんで、五年もの間一日も休まず陰日なたのう、よう働きよった。それに一年たつごとに背も髪も伸びて、ハッとするほど美しい一人前の女になりよった。ほんで茂右衛門は、おたつを嫁に迎えたんや。
袋屋で働いていた娘らは、
「おたつの髪は、切ると血が出ますのや」
「血ィ出るだけやおまへん、生きてるみたいに髪の毛が動きまんのやわ」
と、茂右衛門や番頭にまで告げ口したが、
「身寄りのないおたつが玉の輿に乗ったんで、へんねししてるんやがな」
「あんだけつやつやした長い髪をしてるんや、なんなと言われてもしよおまへんわな」
と、笑うて取り合わんかった。何を言われても、茂右衛門とおたつは人も羨む仲のええ夫婦やった。
三人目のややが生まれて、おたつの床上げの日のこっちゃ。風呂上りのぐっしょりぬれた髪をたらして、ややに乳をふくませたまま、うつら、うつらしてるおたつの部屋へ、茂右衛門が入って来よった。ほんで、はだけた胸の乳の脇に、青いウロコのようなものがキラッと光ったのをみてしもうたんやがな。
「それ、何やいな」
何気のう聞いたんやが、目ェさましたおたつは真っ青になりよった。ほんでから、ややを置いたままおらんようになってもうたんや。
おたつのことがあきらめきれん茂右衛門は、乳ほしさに泣くややを抱いてあっちゃの山、こっちゃの池と探し回ったが見つからへんねん。とうとう九郎五郎池のところまでやって来よった。
「あんなに幸せやったのに、なんで身ィかくさんならんのや。このややが可愛いないんか。乳ほしさに泣くこの子の声が聞こえへんのか!」
男泣きする茂右衛門の声は、鬼でももらい泣きするほどやったそうや。
その時、風もないのに池の水が波立ち、うずを巻きはじめたんや。ほんでからそのうずの真ん中に、おたつの姿が浮かび上ったんやて。ほんで岸に近づくとややを抱き、乳をふくませながら言うたんや。
「あんさんや子どもらを捨てて、九郎五郎池に身を沈めたんは、決して人に見せてはならん、あのウロコを見られてしもうたからですのや。髪の毛が長うて、切ると血潮がほとばしるのも、わてが龍の化身やからですねん。この谷がもうひと谷あればわても生きながらえますが、今となってはかないまへん。これっきり忘れとくなはれ」
そう言うと、黒髪を水に乱して振り立てながら、うずを巻いて沈んでいきよった。
茂右衛門はややを抱き、息をのんで立ちつくしとったそうや。
注 黒子池は百谷に及んでいたが、龍のすみかとなるのを恐れて一つの谷を埋め山林にし、九十九谷にしたという。
「もうひと谷あれば百谷」ということから、毛人谷(もうひとたに)→毛人谷(えびだに)との地名になったとも伝えられている。
出典:富田林の民話・総集編 p101-103