2012年12月1日土曜日

太満池

 行基の狭山池改修で、副池として作られた溜池の一つである太満池へ行ってきました。


太満池


太満池の祠

 こちらにも狭山池と同じく祠があったので、この池の龍神を祀っているものと思われますが、詳細は不明。


大阪狭山市水道局太満池浄水場

 さらに、池の横には大阪狭山市水道局の浄水場があり、太満池を水源の一つとして取水している模様。

 そうすると、太満池の龍神は、溜池だけでなく、大阪狭山市の水道も司っているということになるかと。

2012年11月25日日曜日

お亀石古墳

 重源による狭山池改修の際に、石樋を作るために「お亀石古墳」付近から石を運んだという伝説があるので、現地へ行ってきました。
 地図を頼りに歩いて探したのですが、特にそれらしい看板が見当たらず、見つけるのに苦労しました。



お亀石古墳の上部

 

お亀石古墳の正面


お亀石古墳の看板

 看板の解説によると「方墳」だそうですが、石棺部分が既にむき出しになっていますし、周囲の地形にも手を加えられているらしく、原型はありませんでした。
 上から見ると、石棺が亀の頭と甲羅に見えるので、「お亀石」の名には偽りなしかと。
 ただ、結構な山の上にあるし、位置関係からして、ここから狭山池にまで古墳の石を運んだというのはちょっと信じがたいかと。
 仮に、重源の狭山池改修の石樋に古墳の石が使用されたとするなら、個人的な推測ですが、羽曳野丘陵にあった別の古墳で、現在は完全に消滅しているということかと。

2012年11月24日土曜日

阿弥陀寺

 昨日の文献調査を踏まえ、安政5年の狭山池改修の際、雌雄の龍神ニ柱を勧請した本浄和尚が住職をしていたという阿弥村阿弥陀寺を探しました。


阿弥陀寺

 地図を見る限り、狭山池の水下流域で「阿弥」という地名は、堺市美原区阿弥だけのようなので、恐らくこの地区の阿弥陀寺がそれだと思われます。

 想像していた以上に小さなお寺で、ご住職一家のものと思われる家が寺の横にありました。

 また、境内には、「ダキニ天大明神」の御社もありましたが、肝心の龍神を祀っていると思われる御社はありませんでした。




境内のダキニ天大明神社

 
 まあ、明治以前は習合・合祀が当たり前でしたから、元々は龍神社だったのが、稲荷神の流行後に龍神社へダキニ天が合祀された可能性はあるかと。

 ちなみに、阿弥陀寺へ向かう途中には、狭山池から続くと思われる水路があり、水門に小さな祠があるものもありました。


水門と祠

 中を覗くと地蔵尊らしき石像が祀られてましたが、これも元々は龍神に縁のある祠だったのかもしれません。

2012年11月23日金曜日

「狭山池龍淵江奉納願文控」

 「狭山池 資料編」に収録されている「狭山池龍渕江奉納願文控」によると、

安政5年(1858)11月3日に河内国丹南郡狭山池内に、

如意宝大竜王 池中渕に鎮座奉。
善女大竜王  池中小山石台之上に鎮座奉。

謹上再拝狭山池内竜宮江敬白奉。
其趣意は今般築立る所之西除ケ所修補成就之上は永久破損之害之無き為、
守護神雌雄竜王ニ神江祈念奉る。
水下村々 新に池中江石壇を構、又渕を堀、龍宮社勧請奉、幣白を奉、池安全・水下五穀成就・旱魃之愁無、万民豊饒願処也。
即今月今日阿弥村阿弥陀寺現住本浄大和尚を祈念之師として此龍渕江御所持之袈裟一具、其外収物水底江被鎮、然上者此渕万代不汚干水之患之無、自今渕底永世拝見する事能ず、全神威之寄所寄也妙也。

等と記されている。

九郎五郎池

 「富田林の民話・総集編」において、龍の棲みかとされる九郎五郎池へ行ってきました。


九郎五郎池

 狭山池や粟ヶ池と比べると小さ目ですが、結構な大きさですし、目と鼻の先にPL教団の大平和祈念塔があります。


九郎五郎池側の公共施設けあぱる


けあぱる正面


けあぱる横の広場

 「けあぱる」という富田林市ケアセンターがあり、施設横の広場には、何やら曰くあり気な樹がありました。


広場の曰くあり気な樹

 民話「糸屋の娘」によれば、九郎五郎池の近くにお宮があったそうなので、実は神社の跡地にけあぱるが建てられたという可能性もあるかと。

2012年11月17日土曜日

「龍の棲む日本」

 <日本>の龍は、本格的には平安時代にその姿を現した。そのイメージは、陰陽道の龍や佛教の龍王と<日本>の神の蛇身とが複雑微妙に絡み合っており、さまざまな姿をとって現われる。そして、龍・龍王・龍神は主として水神として、風雨を起こす存在として、中世<日本>のなかに深く、広く根づいていった。中世の人々は、龍・龍王・龍神に対して雨乞いをし、あるいは大雨が止むようにと必死の祈りを捧げたのであった。
 それだけではない。龍はしばしば地震を起こす存在であり、また、龍は中世<日本>の神々の姿であり、蒙古襲来や東夷の蜂起などの危機に際しては、龍の姿をした神々が<国土>を守護するために血みどろになって戦った。龍は、中世<日本>の<国土>や<大地>と不可分な存在となったのである。

黒田日出男「龍の棲む日本」岩波新書 P134


 中世<日本>の<国土>を構成する大地のうちで、聖地とされるような山々や湖海などは、それ自体が龍体であったり、あるいはそこに龍が棲息していた。また、それらの山々や湖海を繋ぐ巨大な穴道が地下世界を走っていた。<日本>全国の<大地>に、暗黒の穴をあけている龍穴や人穴などと呼ばれる洞穴・洞窟はそうした巨大な穴道へと繋がっていた。つまり、それらの穴道は、琵琶湖・諏訪湖などの湖水や瀬戸内海へと繋がっており、神仏の化現である龍が、そこを行き来していたのである。

黒田日出男「龍の棲む日本」岩波新書 P168


2012年11月14日水曜日

さやりん

 「さやりん」とは、大阪狭山市のマスコットキャラクター。

 公式ホームページプロフィールによると、


名前:さやりん
年齢;わからない
性別:わからない
お家:狭山池の龍神(りゅうじん)のほこら
趣味:お花見・池の掃除(そうじ)
仕事:日本最古(さいこ)の人工(じんこう)のため池である狭山池の自然(しぜん)と安全(あんぜん)を守っていたが、発見(はっけん)されたことをきっかけに今は狭山や狭山池の宣伝(せんでん)にも力を入れている。
夢:立派な龍神(りゅうじん)になって、狭山池を守る。
好きなもの:狭山名物の大野(おおの)ぶどう
嫌いなこと:狭山池をよごす人
家族:お父さんは狭山池の龍神(りゅうじん)。お母さんは桜の妖精(ようせい)。

とのこと。

 個人的に気になるのは、狭山池の龍神は雌雄二柱の夫婦とされていること。

 上記の設定に従うならば、さやりんは正妻である雌の龍神との子ではなく、妾である桜の妖精との混血児ということになる。

 しかし、マスコットキャラクターとして、そういう複雑な家庭環境というのは問題ないのだろうか?