<日本>の龍は、本格的には平安時代にその姿を現した。そのイメージは、陰陽道の龍や佛教の龍王と<日本>の神の蛇身とが複雑微妙に絡み合っており、さまざまな姿をとって現われる。そして、龍・龍王・龍神は主として水神として、風雨を起こす存在として、中世<日本>のなかに深く、広く根づいていった。中世の人々は、龍・龍王・龍神に対して雨乞いをし、あるいは大雨が止むようにと必死の祈りを捧げたのであった。
それだけではない。龍はしばしば地震を起こす存在であり、また、龍は中世<日本>の神々の姿であり、蒙古襲来や東夷の蜂起などの危機に際しては、龍の姿をした神々が<国土>を守護するために血みどろになって戦った。龍は、中世<日本>の<国土>や<大地>と不可分な存在となったのである。
黒田日出男「龍の棲む日本」岩波新書 P134
中世<日本>の<国土>を構成する大地のうちで、聖地とされるような山々や湖海などは、それ自体が龍体であったり、あるいはそこに龍が棲息していた。また、それらの山々や湖海を繋ぐ巨大な穴道が地下世界を走っていた。<日本>全国の<大地>に、暗黒の穴をあけている龍穴や人穴などと呼ばれる洞穴・洞窟はそうした巨大な穴道へと繋がっていた。つまり、それらの穴道は、琵琶湖・諏訪湖などの湖水や瀬戸内海へと繋がっており、神仏の化現である龍が、そこを行き来していたのである。